ライカ読本 シュミット商店 刊 1936( 昭和11)年
シュミット商会(ここではシュミット商店となっています) が戦前に出した販売促進用の本です。
この当時、ライカの設計者であるオスカー・バルナックがまだ存命中だったことを思うと不思議な感慨が湧いてきますが、この年はどんな事があったんだろうと思い調べてみると、2.26事件!
今カラデモ遅クナイカラ隊ヘ帰レ オ前達ノ父母兄弟ハ皆泣イテオルゾ
上のような内容の電信文が教科書に載っていたのだけはなぜか妙に印象に残っていて憶えています。
2.26事件といえば、写真家の桑原甲子雄が、この時の皇居周辺の様子をライカで撮っています。
「ライカ読本」に戻って中を読んでみると、販促用なので “ライカ良いよ!” という話が綴られているわけですが、それがたとえば 登山仲間が組み立て暗箱で撮っているのを、
『あの重いカメラに三脚、乾板からフィルムパックまで、えっちらおっちらかつぎ上げた貴兄の熱心には全く敬服し』たと。
そして、『私が至って簡単にライカでパチパチ撮影するのが少し済まない様にさえ感じ』たというような内容なのです。
何かイヤミな言いぐさだな、こんなやつ友人に持ちたくないなと思ってさらに読み進んで気付いたのは、当時写真を撮りながら登山していたような人たちはそれなりの富裕層だったという事です。
登山に行く際に “人足を何人雇わなければ ”という様な事まで書いてあるところをみると、友人にライカを自慢されたからカチンと来る風ではなく、「ああそうかね。じゃあ僕もひとつそのライカという小型カメラを買ってみようかな」となりそうな感じです。
今風に言い換えれば、
「レクサス乗ってるの?後ろはやっぱりメルセデスが広くて楽だよ」
「じゃあ私もためしに一台入れてみようかな」
という様な感じでしょうか。もっとも私は乗った事がないので本当にメルセデスの後部座席がレクサスより広くて楽なのかは知りませんが。
写真もライカも庶民のものではなかった時代。この本も庶民ではなくそこそこのお金持ちのものさしに合わせて書かれていたわけです。
零下40度云々・・・のくだりに突っ込みを入れる前に、昭和11年当時にすでにクレームという言葉の使われていたことに驚きました。ハイソサエティな方がたの間には、現代と大差ない程度(あるいはそれ以上に?)に外来の横文字が浸透していたようです。